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「[竹細工・柄杓師] 黒田正玄(くろだ しょうげん)」
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[竹細工・柄杓師] 黒田正玄(くろだ しょうげん)

 千家十職のひとつ。竹細工・柄杓(ひしゃく)師を務める400年続く家系。正玄は当主が代々襲名する名前で、現当主は1966(昭和41年)に襲名した13代正玄。柄杓のほか茶杓、香合や花入など竹を使った茶道具を手がけ、千家に納めている。
 初代正玄(1578~1653年)の通称は七郎左衛門。越前国(福井県)黒田郡の生まれの武士で、丹羽家に仕えていたが、関ヶ原の戦いで丹羽氏は石田三成率いる西軍に味方。敗戦ののち黒田家も改易(かいえき=身分および土地家屋の没収)の処分をうけ、浪人となった。七郎左衛門は剃髪して正玄と名乗り、滋賀・大津に移住後、竹細工職人になった。このときの竹細工の師匠が一阿弥という醒ヶ井(さめがい=滋賀県)に住む人物で、一阿弥は井戸守でありながら豊臣秀吉に柄杓を納めて「天下一」と称されたほどの名人だった。正玄が竹細工の中でも柄杓を作るようになった理由は、やはり出自が武士であったからだろうといわれる。刀と同じ「シノギ」という部位の名前を持ち、扱いも似ていた柄杓は正玄にとってかつてを偲ぶ道具だったのだろう。
 その後、正玄の竹細工は評判を呼び、上洛して京都油小路二条に住んだ。正玄は小堀遠州に茶の湯を学んだが、茶の習得に非常に熱心で遠州のもとへ足しげく通って稽古に励んだため、「日参正玄」と呼ばれ、遠州の推挙で幕府御用達柄杓師を務めることになる。

4~5年かけて材料の竹を仕上げる

千家との出会いは大徳寺の江月宗玩のところで禅を学んでいるうちに千宗旦を紹介されて柄杓を納めたのがきっかけといわれるが、具体的なかかわりは三代正玄(表千家六代覚々斎)の時代になってからである。柄杓や茶杓は斬新な素材や凝ったつくりなどとは無縁の、いってみれば極めて単調なものである。ところが、正玄の杓の種類は60にも及び、茶杓も家元の好みで相当の種類がある。代々自らが竹を選び、切り取りに行く。切り取った竹は水分が抜けるまでじっくり乾かし、炭火で燻して油分を抜く。天日に干し、その後4、5年寝かせてようやく材料としての竹ができあがる。 正玄の作の茶道具は精緻な業で、そのどれもが端正な形と竹のもつ凛とした緊張感を漂わせている。同時に感じる清々しさとやわらかさはその製作にかかる時間と匠の技が見事に反映されたものである。

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