舟越保武~刻み続けた人生~
ロダンに感銘を受けた学生時代
彫刻家・舟越保武は1912年に岩手県に生まれました。父親が熱心なカトリックの信者であり、保武自身ものちに洗礼を受けているためか作品の題材にもその影響が見て取れ、キリスト教関連のものが多く残されています。
中学時代の同級生に画家の松本俊介がおり、すぐに意気投合し仲良くなったそうです。松本は病気が原因で聴力を失っており、二人が会話するときは筆談や空中に指で文字を書いて行なっていました。あるとき松本から教えられたことがきっかけで、高村光太郎が訳したオーギュスト・ロダンの「言葉」という本を読みます。そこで、「かぶりついて仕事せよ」という言葉から、ロダンの彫刻への熱意、スタンスに感銘を受けて彫刻家を目指します。
人生を捧げた彫刻
その後、3度目の挑戦で東京美術学校に入学し、彫刻科にて彫刻を学びます。このときに、共に戦後の彫刻界を牽引することになる佐藤忠良にも出会います。
卒業後に独学で石彫刻を始め、注目されるようになりますが、1948年に親友だった松本俊介が病気で36歳の若さで亡くなったことで、彫刻に対するスタンスについて悩みます。さらに追い討ちをかけるように1950年に生まれたばかりの長男も亡くなってしまい、ここで洗礼を受けてカトリック教徒として作品に取り掛かるようになります。ここでも、ロダンの「かぶりついて仕事せよ」という言葉に従って彫刻へ更なる熱意を燃やしたそうです。
その後、憧れだった高村光太郎賞を受賞し、彫刻科としての地位を確固たるものにします。
後進の育成にも力を注ぎ、東京藝術大学の名誉教授にもなりますが、それでも自身の作品に満足することは無かったそうです。
1987年に脳梗塞で倒れてしまい、右半身が不自由になりますが、彫刻を続けるためにすぐにリハビリを始めます。そして2002年に亡くなりますが、本当に亡くなる寸前まで、ほとんど左手1本で作品を作り続けました。まさに人生を彫刻に捧げたといえる作家です。
さいごに